しくじり先生。
2020になりました。
今年は久しぶりに実家での年越し、年明け。
今までリゾートバイトをしながらだったので、各地で友達と、一人で年を越したので少し違和感。
正月もサービス業なので、お休みはなくシフト制。
大体世の中が、仕事始めになってからお休みが多い。
今年は初詣へ行って日の出を見て、初売りへ行って正月気分を味わった。
ただ、3日目は久しぶりに何もない日を迎えた。
今日は掃除をしようと思っていたのだが、テレビをつけるとしくじり先生がやっていた。
しくじり先生は面白い。
芸能人が自分の人生の中で反省するべき点を自ら解説しながらみんなに伝えると言う番組だ。
私は南海キャンディーズの山ちゃんの回を少しだけ・・・と思っていたら全部見てしまった。
嫉妬に狂い、相方を攻撃してしまったことを懺悔していた。
山ちゃんが泣きながら謝っている姿を見て、ウルっと来てしまった。
嫉妬や僻みは最初は「いいなあ、〇〇さん・・・」から始まる。
〇〇さんがだんだん活躍することで、自分は置いていかれる気持ちになっていく。
「なんで、〇〇さんはあんなに活躍してるんだ?自分の方が頑張っているのに。」と。
昔、自分もそうだった。
友達が自分の知らない友達と遊んでいて仲間外れにされたと思い、
「なんで自分を誘ってくれないのだろう?私は置いてけぼりだ。」とか
自分の方が運動できると思っていて、あんまり好きじゃないやつに負けてしまった時とか・・・
なぜか嫌いだけど気になる存在として頭から離れなくなる。
その嫉妬をなぜか、人に攻撃してしまうことが私自身も多かった。
最終的に残ったのは、悲しい思いと虚しさだけなのである。
人を攻撃することでスッキリすることはなかった。
なぜなら、私の場合は自分自身を否定し続けていた。
相手を攻撃することでまだ「自分はいける。」と思っていた。
今思うと、自分は最低な奴だった。ジャイアンみたいな感じだったのかも。
だが、そんなことがあった青春時代だったが私は社会に出て荒波にもまれ、いろんな人とたくさん出会い、趣味で始めたヨガと出会い
少しずつ考え方が変わっていった。
「相手を傷つける行為(僻み、妬み、怒り)は自分を傷つけているんです。」と初めてインド人が講師のヨガへ参加したとき言われた。
なぜが自分は納得してしまった。
今までその言葉をほしかったのかな。とその時は思ってしまった。
それから、自分は嫉妬することがなくなったと言いたいところだが、もちろん人間なのでたまーに「いいな。」と羨ましく思うこともある。
嫉妬や憎しみ、僻みは何も生まない。生まれるのは深い傷だけ。
嫉妬している時間があるのなら、自分に意識をむけた方がいいと思うようになった。
今は誰かがすごいことをすると、「すごいな、私も頑張るぞ〜!」と自分を励ます糧にするようにしている。
自分も色々としくじってるんだな〜。今まで傷つけてきてしまった人たち申し訳なかったです。
そんなことをふと振り返る正月でした。