わたしと私。

〜Life is What You Make It〜

見過ごすこと。

何度も言うが、


世の中にはたくさんの人がいる。



自分は良いと思っていても、


誰かは良くないと思っていることもある。




それは自分が悪いのではなく、


人の数だけ考え方がある。



相手の意見を聞いて納得してくれる人もいれば、


中には逆上する人もいる。



ヨガ哲学で面白い話があった。



「邪な相手には無関心(見過ごす)ことが必要である。」


「パンチャ・タントラ」の話は特に納得できる。


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昔、雨の中ずぶ濡れの猿がいた。


ちょうど向かい合わせになっていたの木の枝には


スズメの巣があり、中に一羽のスズメがいた。


スズメは大体、枝の先端に巣を作るものなので、


それは垂れ下がっていて、微風の中でゆらゆら回転する。


巣は中がちゃんとした部屋になっていて、


上は小部屋と応接室、下は寝室と、


新しく子供が産まれてきた時のために、


子供部屋まである。


本当にそうなのだ。


スズメの巣というのは必見の代物で


実に良くできている。


ある日、スズメが心地の良い巣の中から


外を眺めていると、


哀れな猿の姿が目に入った。




スズメは「ねえお猿さん。僕はとっても小さいだろ。


君みたいに手もないし・・・。


小さなクチバシだけしかない。


こんな雨の日もあろうかと思って、


ちょっとした家を作っておいたんだ。


この中にいれば、雨が何日も続いたって暖かい。


なんでも君たちは人間の祖先だって聞いたんだけど


だったらどうして頭を使わないんだ?


雨をしのげそうな小屋を、ちょっとどこかに作ったら?」





それを聞いた猿の顔と来たら、


ものすごい形相で


「何だとこの野郎!俺にお説教しようってのか!


自分は巣の中にいて気持ちがいいもんだから


俺をからかってるのか?


見てろよ。俺に文句言うならこうしてやる!!」


そう言うと猿は、その巣をズタズタに引き裂いてしまった。




哀れなスズメは雨の中に飛び出して逃げ、


猿と同じようにずぶ濡れになってしまった。

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この話で何が言いたいのか?


つまりは、このような猿タイプには


自分の意見を言っても


侮辱と受け取られることもある。


また、大体は自分が正しいと思っているタイプが多い。


もし、そう言う人の気配を感じたら


その人から離れよう。


彼らはいずれ彼ら自身の経験によって学ばねばならない。


彼らに良かれと思って忠告しても


自分自身が気分を悪くしたり、感情的になってしまう。




これは現代、コロナ禍でも言える話だ。



マスクをつけていない人に


「マスクをつけてください」と


注意したところ逆上して、暴行をされたり


あおり運転に注意したところ、


逆にあおられたり。。。



本当に身の危険を感じる前に離れよう。


そしてその場を見過ごすことも必要だ。


もちろん、犯罪現場は別だが。。。



自分の平常心を乱さない程度に


見過ごしてみよう。


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大人になるとなぜ相手の意見を聞き入れられなくなるのだろう。。